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「羽生結弦」をめぐるあれこれ

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1.詩とイメージ

 

  リンクに2か月間も立てなくなるほどの怪我を背負いながら、負傷後わずか4か月後の平昌オリンピックで見事金メダルを獲得した羽生結弦選手。世界中が固唾を飲んで見守る中での演技はまさに驚異的な鉄人としての彼を感じさせましたが、フリープログラムでの演技は妖艶さを前面に押し出しながら雄々しい力強さも兼ね備え、見るものすべてを彼の世界へと引き込んでいきました。

  世界中のメディアが彼への賞賛の言葉を浴びせる中、中国中央電視台の陈滢さん(女優のジーニー・チャンさんとは別人)が演技の放送の最中に諳んじた“容颜如玉,身姿如松,翩若惊鸿,宛若游龙。” (顔は玉石のごとく、姿は松のごとく、飛び立つ様子は白鳥のようで、しなやかさは遊ぶ竜の様だ)という詩的表現が日本でひときわ話題になりました。

 http://sports.qq.com/a/20180217/006951.htm

 (こちらは当日の中国中央電視台の記事です。参考まで)

 

 これは彼女のオリジナルというよりも、中国で美しいとされるものを並べて詩的に仕立てたものですが、そのような表現がスポーツの実況中に出てくる素晴らしさに驚きとともにうれしくなって、つい私もこの話題をツイッターでリツイートしていました。少しだけご紹介させていただきますと、オリジナルと言われている表現は主に曹植の洛神賦から引き継がれたもので、曹植というのは三国志で有名な曹操の息子であり、幼い時より才に恵まれ曹操にもとてもかわいがられていたので将来も嘱望されていたのですが、天才にありがちな他人に無頓着な部分が現実的で抜け目のない兄の曹丕に劣っていたため、政治では兄に王の座を奪われるとともに中央に帰ることなく人生を送ったひとです。

 

 詩に関して言えば曹操も曹植も曹丕もとても優れたものを残していて三人合わせて三曹と呼ばれ並び称されていますが、曹植は特に「八斗の才」(天下の全才能の八割を独占する)と謝霊運に言わせるほど唐以前の詩人では最高位の席におかれている人です。

 

 陈滢さんの詩のオリジナルとされている洛神賦は、曹操の最大のライバルとなった袁紹の子袁煕の妻であった甄(けん)氏のことを読んだ賦だと言われています。甄氏は袁煕亡き後その美貌を見止められ袁煕を攻め落とした相手である曹丕の妻となります。甄氏は美しさばかりでなく教養も深く兼ね備えており、曹植は兄の妻であるにもかかわらず彼女を恋し妻にと望みますが、甄氏はのちに曹丕の正妻となる郭貴嬪の陰謀により夫である曹丕から死を賜り毒を飲んで死んでしまいます。彼女の死後曹丕の元を訪れた曹植は曹丕から甄氏が使っていたという枕を賜ると、帰りがけに通った洛水のほとりでそこにいるという女神の伝説に照らして彼女の詩を作ったということです。ただ有名な詩にありがちなのですが、実は曹植の恋の話は出所が明らかではなくあとから創作されたものではないかともいわれています。

 

 さて、洛神賦の本文で引用されていると思われる部分を書きだしてみます。

 翩若驚鴻,婉若游龍。

 榮曜秋菊,華茂春松。

 髣彿兮若輕雲之蔽月,飄颻兮若流風之迴雪。

 

舞い上がる様は驚いて飛び立つ白鳥のようであり、しなやかさは自由に遊ぶ龍のよう

華やかさは秋に咲く菊のようであり、若々しさは春に繁る松のよう

 薄い雲のかかった月のようにぼんやりとして、

 強い風に舞う雪のように揺らめく

 (訳に間違いがあったら申し訳ありません!)

 

 後半部分を読むとよりわかりやすくなりますが、これらは美しい女神を形容する褒め言葉です。こうして比較してみると、強さと美しさと柔らかさを畳みかけるように読んだ曹植らしい表現のうち、力強さの感じられる部分を引用することで羽生選手の演技の素晴らしさを表したのはとても説得力がある方法だと改めて感心させられました。

  しかし、このような表現をより身近に感じるのは、有名な漢詩の中には現代でも生きてその表現を見聞きすればどのような状況であるのか思い浮かぶようものがたくさんあって、それは日本にいる私たちでもイメージできるくらいだということに私は改めて感心させられるのです。玉(宝石)は容姿の美しさを強調しているということも分かりやすいですし、実はオリジナルのことなど知らなくても、なんとなくこの表現はこういうことを表しているのだろうなということが思い浮かびます。それは当たり前なのではなくて、おそらく長い時間私たちの生活に沁み込んでいろいろな場に現れては私たちを楽しませてくれていた。そういうもののうちのオリジナルといわれるような表現があると知るだけでわくわくしてしまいます。

 

2.スケート選手と陰陽師

 

 羽生選手が表現しようと選んだ陰陽師がこの女神と通ずるところが多いことはわかりやすいことです。安倍晴明というひとはその時代には陰陽師として名声を馳せた人ですが、物語となった彼はすでに現実離れした魔法使いのような主人公で、実はとても実学的でもあったその技でさえ私たちの頭の中では魔法のように思えます。

  帰国後の記者会見で羽生選手は「SEIMEI」という曲を使用した理由について、体形や技術面においてもアジア人がスケートの選手として活躍できること自体がつい最近まで皆にとって信じられなかったことであり、アジアらしい曲を使用することでそれが可能であるということがもっと印象付けられればいいと思ったというようなことをおっしゃっていました。

 しかし「SEIMEI」での彼の演技を見れば、能や狂言などの芸術におけるトリックスター的な存在にかなり魅力を感じていたのだろうということは一目瞭然です。物語である『陰陽師』の主人公の安倍晴明は言わずと知れたトリックスターであり、陰陽道を駆使して闇の世界と光の世界を縦横に駆け回り、危険を冒しながらも彼なりの秩序を目指します。物語に出てくる音楽の役割はまるで予定調和を促すもののような扱いになっていて、清明の親友である源弘雅は音楽(の神)に愛されて生まれた存在として描かれています。

  このような物語を知れば、この音楽を使って演じることのよって清明のように自らを中心とした世界を作り上げられるかもしれないという野望が叶いそうに思われるのも当然です。そして今回のオリンピックの演技で彼のその野望はほぼ叶ったように思われます。つまりそれは、あらゆる人が彼に引き付けられ魅了される世界を彼が創造できたということです。

  今日の多様化された世界では以前にもまして「一つの世界」に到達することは困難で、ましてやオリンピックのような国の威信を賭けた戦いの最中、世界のだれもが一緒に魅了されるような場を作ることはかなり難しいように思います。それをやってのけた羽生結弦という人はまさにトリックスターのようでした。私にはその時、本当に魔法を見ているように感じられたのです。

  「世界の王」は人間がまだ偽の主権者に支配される以前の、地上に国家が出現する以前の記憶をはっきりと保持している。新石器文化をつくりあげていた人間たちの「野生の思考」が生み出した、粗末だけれども豊かな心の産物を、この精霊たちはなによりも美しいものとして大切に守っている。ミシャグチやもろもろのシャグジたちや宿神たちがそうしてきたように。

  またこの王は、未来の人間の世界に出現しなければならない「主権」の形についての、明瞭なヴィジョンを抱いており、それをなにかの機会には、心ある人間たちに伝えようとしているように、私には見えるのである。古代の王たちから現代のグローバル資本主義にいたるまで、偽の「主権者」たちによってつくりあげられてきた歴史を終わらせ、国家と帝国の前方に出現するはずの、人間たちの新しい世界について、もっと正しいヴィジョンを抱きうるものは、諸宗教の神ではなく、長いこと歴史の大地に埋葬され、隠されてきた、この「世界の王」をおいて、ほかにはない。しかし、すべては私たちの心しだいである。この王の語りかけるひそやかな声に耳を傾けて、未知の思考と知覚に向かって自分を開いていこうとするのか、それとも耳を閉ざして、このまま淀んだ欲望の世界にくりかえされる日常に閉塞していくのか。すべては私たちの心にかかっている、と宿神は告げている。

 

中沢新一著 『精霊の王』 講談社 p320

  中国のメディアが女神への形容で伝えた羽生結弦という人が作った魔法のような演技が、時空を超えて世界中を駆け巡り、そして見る人を別世界に送り込んでいった。このことが今後どのような影響を及ぼすかは知り得ませんが、少なくとも私には魔法の時はあるのだと思えました。そしてそのことが国や宗教や人種を越えて人々を同じ世界に引き込んでいく力を皆に感じさせて、魔法は未来に繋がっていく何かになり得るという期待に成長させてくれたらいいなと思いました。

  今はお気の毒なくらい忙しすぎる羽生さんも、未来を担う若者として彼によって成し遂げられたことがいったいどういうことだったのか見つめられる時間をもう少し与えてもらえたらいいのにと感じます。そして国家や誇りや名誉だとかそういうものを越えて、そこにたしかにあって人々を一つの世界に連れていくことのできた彼の起こした魔術について、彼自身が思う所を彼の口から聞いてみたい気がします。

 

【メモ】

 詩と賦について

  漢詩を勉強したことのある人ならだれでも律詩だとか絶句だとかを始めにやらされるので、陈滢さんの詩や洛神賦を見て違和感があるのではないかと思います。

  多様な文体を収めながらも、『文選』のなかで最も多いのは「賦」と「詩」である。「賦」は巻一から巻一九の途中まで、「詩」は巻一九の途中から巻三一まで、つまり全六十巻の半分以上を「賦」と「詩」が占める。これは「賦」と「詩」こそが文学のなかでも最も中心となるジャンルとみなされていたからだろう。漢代の書物の全体を分類整理した『漢書』芸文志は、書物を「六芸略」「諸子略」など六つの分類に分け、狭義の文学に相当する分野として「詩賦略」を立てているが、「詩賦略」の名にあらわされるように、「詩」と「賦」が文学を代表するものであった。ちなみに「文学」という言葉は明治の初めにliteratureの訳語として採用されるまでは、孔門の四科に「徳行・言語・政事・文学」として挙げられるように、古典の素養、学問を意味するものであった。今言う所の「文学」を意味する語はなかったにしても、『漢書』が「詩賦略」を立てたことから、文学に当たる概念はすでにあったと考えられる。また「詩賦略」に「詩」を挙げていても、それは広い意味における詩であり、実際には「歌」であった。

  「詩」とならんで文学の中心とされる「賦」は、押韻はするものの「詩」と違って一句の字数、一篇の句数に定めがない。漢代の文学を代表するものが「賦」であった。賦は魏晋以降も叙事性から抒情性へと性格を変えながら作られていくが、文学の中心は「賦」から「詩」に移った。とはいえ、賦は早い時期の文学ジャンルの代表であったために、格式の高い文体として、のちのちまで別集、総集は賦から始められることが多い。

 川合康三他注釈 『文選 詩篇(一)」岩波文庫 pp385~386

 

 

 参考にさせていただいたブログです。とても助かりました。ありがとうございます。

 

「私家版 曹氏建集」ブログ

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中国歴史世界 資治通鑑

 
http://www.geocities.jp/wtbdh192/index.html

 


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